げんきやるきあがき

見聞きしたこと思ったことを拙い文章で書くだけ

けついひょうめい

頭の中身をすべて表現するのに、何が適しているのか考えてみる。頭の中に浮かんだ景色や感覚をそのまま文章に表すには、ある程度の語彙力と文章構成力が求められるだろうし、曲作ったりするのも歌詞をつけたりするなら前述の能力が重要になる。

 

てことで、僕がアイデアを表現するには映像が良いのではないのだろうかという結論に辿り着いた。もちろん理屈で詰めたわけではなく、ただの思いつきである。いい年こいて、なんでもいいから、表現というものに挑戦したいと思っている中二病をこじらせずにこれまで生きてきて、突然中二に目覚めたイタイ男が僕です。

 

ただ、動画や曲を作成するよりも、文章を残すほうが、お金もかからないし現状ノーリスクで出来るから、しばらくはブログを自己満で更新しつつ文章の書き方とか勉強してみようかな。

まず手始めに、後で読み返してもなるべく恥ずかしくない文章を意識して書いていけるように努力しよう。うむ、実に前向きな目標である!!!

 

それはともかく、表現は自由であるべきだ。

生来、僕はルールやら上の意見やら他者の目やらを気にするのが大嫌いだった。家では何もせずゲームばかりの父親、世間体を気にし父のようにはなるなと言い続けてきた母親、甘い物好きが祟り肥満児だった僕への周囲の嘲り、早すぎる性への目覚め(弱冠5歳)。その他諸々の出来事から、抑圧されていた僕は、周囲の圧力に委縮するのではなく「うるせえ!こっちみんな!」とばかりに破天荒な幼少時代を送った。家庭内では兄として我慢しなければならない場面が多かったため、破天荒さは学校で顕著に表れていたように思う(家の中で表れてなかったわけではない)。

 

クラスメイトと喧嘩はもちろん、気に食わない教師に反抗的な態度をとったり、教室内で下品な言動をとって笑いをとろうとしたりしていた。ただ、変なプライドがあって、髪を染めたり、たばこを吸ったり、悪い先輩とつるんだりといったあからさまなことはしなかった。というかそんなことをしたら、母親に勘当されるのではないかと怖くてできなかった。度胸が無かった。自分の出来る範囲内で破天荒をやっていたのである。

 

そんな感じだから、中学生までは仲良くしてくれる男子はいたが、女子やいい子ちゃんからの好感度はカスみたいなものだったと思う。しかし、その間にも、思春期男子として自意識は着実に育っていたため、高校入学前に「これまでのような振舞はやめて、大人しく良識のある人間になろう」と決意した。

 

そして、無事大人しい地味目男子として高校デビューを果たしたのだが、そうすると毎日が全然楽しくないことに入学後半月ぐらいで気付いた。本当の自分を押し殺していたのだから当然だ。しかし、ある程度みんなのイメージが定着した時期に、昔のような破天荒をかますわけにもいかず、高校3年間はそれまでの荒々しい生活から一転、静かで平和な毎日を過ごしていた。嵐と凪のような対比である。ただ、高校生の期間は、それまでは軽視していた勉強に真剣に取り組めたし、アニメや映画や本などの創作物に触れる時間(アニメが9割)をたくさん持てたから、決して無駄ではなかったと正当化しておく。

 

その経験から学び、大学時代はいい感じに力の抜けた充実した生活を送れた。

しかし、やはり何かが引っかかっていたのは確実だった。単位を取るためにあらかじめ決めたカリキュラムをただこなし、周りの空気に流され、定番のイベントに心躍らせていることに安心を感じつつも、違和感があった。恐らく周りと同じ普通を求めるあまり、自由に自分を表現することを無意識に抑えていたのだと思う。

 

社会に出ると普通であることを求める強制力が更に強化された。

そして、やはり自分に素直に生きていきたいと欲する気持ちが大きくなった。

ただ、もう大人で社会人の僕が破天荒かますことは許されない。

それなら、どうすればいいのか。

そうだ、表現しよう。(違うんです、某CMとは関係ないんです)

 

そんな経緯を経て、今に至るわけである。表現なんて、大げさで不釣り合いな言葉を使ってはいるが、有り体に言えば抑圧されてばかりじゃストレスで変になるから、自分の感じたこと思ったことを吐き出せる場所やツールが欲しかったのだ。

昔から抑圧されると弾けたくなるのは変わらないんだな、とこの記事を書いていて再認識した。ブログがあってよかった。