げんきやるきあがき

見聞きしたこと思ったことを拙い文章で書くだけ

あっぷさいどだうん

最近、仕事後の疲れ方が尋常じゃない。デスクワークが主だから、勿論神経的な疲れである。原因は、何となく心当たりがある。心配しすぎなのだ。度重なる失敗や、他者からの叱責により、これやったら不味いよな、って思考が行動する前に挟まるようになった。そうすると動くのに多大なエネルギーを使う羽目になり、馴れていない僕は毎日こころがボロボロになっているのだ。

ただそのおかげで、仕事のミスはかなり減った。ケアレスミスはまだあるけどアホみたいな失敗はなくなったと言える。

 

ただそんな中で、一つの悩みが生まれた。心配しすぎてしまうことだ。

2年目にして、大変な局面を迎えたため、他者への指示出しをすることが多くなっているのだが、「自分がしたあの指示はあっていたのか、何か穴があるんじゃないか」といった思考をぐるぐる繰り返してしまうのだ。しかし、過ぎてみれば何事もなく業務は遂行されているため、杞憂に過ぎないことが大半だ。

まあ、心配ならその都度、こんな危険があるかもしれないと伝えればいいじゃない、とも思うのだが、如何せん杞憂に終わる確率が大きいため「何だこの心配性め、お前と喋ってた時間返しやがれ」と思われてしまう可能性がゼロではないのである。すると伝えることができず、心配は自分の中で膨れ上がっていく。

 

思いやりも行き過ぎると、うざったいおせっかいと化す。優しさを履き違えているのか、生まれ持っての性質か、本人も気付かないうちに余計な気を回し始めている。そのせいで、余計なエネルギーを持っていかれたり、相手に面倒だとかうっとうしいだとかマイナスな感情を抱かせてしまう。

僕は常日頃から、面倒なやつだと思われたくないという気持ちを指針に行動している。

だからと言って、おおらかで寛容な人間でもない。むしろ神経質なきらいさえある。

 

優しいね、とだけ言われれば褒めているように感じられるが、おせっかいだね、に置き換えられるニュアンスで放たれた一言でないと断言できるだろうか。

そんな風に心配に心配を重ねて苦しくなってしまう僕は、心配性の小心者の自意識過剰の杞憂おじさんであるなあと感じたのでした。

 

悩まなくなる方法?そんなもんあるか!

president.jp

なんて言いつつ、上記のような記事を読み漁り「なるほどね~」なんて感嘆の声をあげつつ、実践に移せないのが僕だ。

 

自分を一番に信じる。結果も他人の言葉も気にしない。これが悩まない最大の方法だ。

出典:脳科学者が教える「悩まない」方法

 科学的な観点から日本人の悩みやすさについて論じた後のこの文章なので少し違和感はあったが、結局凡人が出来るメンタルコントロールなんて「根性で何とかする」ぐらいしか方法が無いのだと割り切ろうと思う(思考放棄)。

 

自分の責任として捉えがちな面は、多少他人のせいにすることで緩和されてストレスも減るのかな。減るといいな。頑張れ僕のシナプスくんたち。