げんきやるきあがき

見聞きしたこと思ったことを拙い文章で書くだけ

おちがよわい

知識があれば世界は広がるのだろうか。

英語が出来る人にだけ見えている世界があれば、絵を描いている人にだけわかる世界がある。専門性が高まれば、「分かる」人口は少なくなっていき、「分かる」人だけで構成された集団が出来上がる。知らない人間がその集団を見た時には、まるでそこが異世界のように感じられる。

 

僕はよく人のブログを読む。ジャンルは問わず濫読している。もちろん趣味なのだが、自分がブログを書くための勉強の一環であると言えば聞こえがいいだろうか。

それはともかくとして、人のブログを読むのは楽しい。相当テキトーに書かれたものでなければ、どんなものでも楽しく読める。人それぞれの感性の中で読者に伝えたいことを、様々な切り口で表現しているため、似通ったテーマでも内容は千差万別だと僕は思っている。そして、みんなちがってみんないい、なのだ。

 

話が逸れたが、ブログを読み漁っている中で時々専門用語まみれで、言っていることが全く分からない記事に出会う。まさに異世界だ。そういう記事でもなぜかある程度読み進めてしまう。理由は分かっている。「この不明な言葉がこの後の文脈で説明されるかもしれない!」という考えがあるからなのだ。知っていれば話についていけるだろうなーと思うからなのだ。同じ専門分野で活動している人たちに向けて書いている記事なのだから、そんな親切に説明なんかしてくれるわけがないのに。

 

この時間を浪費する行為の裏には、分からないことを知りたい、という知的好奇心が潜んでいるのだろう。だから、こうした人の根源的な欲求を巧みに利用している、ミステリ小説は廃れないのだなあ、と勝手に結論づけた6月の昼下がり。

世界が大変な時期に、縁側でお茶を飲む後期高齢者のような気持ちで、上記の思考に至る僕は、世界一能天気かもしれないと思った。