流れ流れて
反骨精神と人として成長することは両立できないのではないか。
周りにあまりに攻撃的だったり、受け入れる器が小さすぎることが弊害となり、重要な情報やスキルを得る機会を逃してしまったり、カッコつけているからこそ失敗した時の滑稽さが増すのではないか。
可愛く従順なふりをして、しっかりやることはやるような人間こそストレスなく世の中を渡っていけるのではないか。これはないものねだりだろうか。
でも、今更無理だ。
どうしようもなくひねくれてしまった自分が少し好きになっているんだもの。みつを
ただ、性格を変えることはなかなか難しいが、努力をし続けることはできるのではないか。根は真面目なのだから。
出来なくても、人にコケにされても、下を向いてしまったらそこで自分が負けだと認めることになり、二度と見返してやることが出来なくなる。だったら、自分の正しいと思ったことを貫き通して、成長の糧とするしかないのではないか。
真面目に生きて努力をした先には何もないかもしれない。でも何もしないでただ過ぎる日々を甘受するだけのでくの坊になりたくない。
死んだ方がましだ。
こんな気持ちを抱いたのは久方ぶりだ。活力が湧いてきた証だろうか。忘れずに大切にしていければいいのだが。
何が起ころうと平常心であることが成功の秘訣かもしれない。
なんて文章を書いていたら足元で舞ったホコリが虫に見えてびびってしまった。
こりゃ三流だわ。